交換雑記

交雑してます。6人くらいでやっています。

もうだめ期

それは急にやってくる。

 

 

女性特有のホルモンバランスのせいなのか個人の特性なのかは知らないが、だいたい2ヶ月にいっぺんくらいのペース。とんとご無沙汰しているなということはあまりなく律儀にやってくる。

 

名付けて「もうだめ期」

 

 

何をやってもうまくいかないというよりは、意味もなく気分が晴れない。

仕事は仕事だからまあ何とかやるにしたって集中力なんて全然ないし、外めっちゃ晴れてるのも恨めしい。

何より身の回りのことが特に億劫。家事とかほんとやりたくない。お手入れだのストレッチだのエクササイズだの、張り切ってやっていたあのやる気はどこへ。

読もうと思っていた本、見たいと思っていた映画、何一つ摂取する気になれない。

誰かに会うこともひたすら億劫。どんなに大事な人であれ。

そして眠い。とにかく眠い。

とはいえずっと眠れるわけでもない。

何にもしたくなくて、何にもない時間はひたすら非生産的にスマホを見続けてしまう。

 

ありません?そんな時期。

イメージとしてはこんな。

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もうだめだ

 

ここ1週間くらいが軽めのそれで、なんかそんな感じの短編があったなと思って本棚を漁ったら江國香織だった。つめたいよるに、という短編集に収録されている『ねぎを刻む』

 

つめたいよるに (新潮文庫)

つめたいよるに (新潮文庫)

 

 

タイトルの通り突如孤独に襲われる女性が、ひたすらねぎを刻んで孤独と格闘する話だ。

3、4ページくらいのごく短い短編。

 

私が襲われるのは孤独ではなく(それも含まれているけれど)何か途方もなく間違えているような心持ちであったり、自分自身や自分の人生そのものが急につまらないものに思えてきたり、付随して未来が不安になったり、というのがいつものパターンだ。

どれも考えたって仕方のないことばかりなのに、ある一定の期間影のように張り付いて離れない。

 

自分が大人になったなと思う部分の一つとしては、これがごくありふれたことだと知っていることだ。誰だってディテールの違いや期間の長短はあれどもそういう時はあって、それをおくびにも出さずに生きている。健気でいじらしく愛おしい、当たり前の人々の営み。

 

この「もうだめ期」がこないようにするのは多分自分の性格上無理な話で、とはいえ来てしまうのなら来てしまうで、早々にお帰り願いたい。できるだけハッピーに過ごしたい。

若い頃と違って、この時期のどうしょうもなさに人を巻き込むことはなくなった。まあ物理的要因もあるけど。誰かに頼れば解決するものでもないことを知ったのだ。

 

とはいえここらでもう一丁、ねぎを刻む的ソリューションが欲しい。

 

普段「もうだめ期」を私がどう乗り越えているかというと、もうそれは嵐が過ぎ去るまでできるだけ身を低くしているに過ぎない。

 

可能な限りじっとうずくまり、食事も普段と違い無理には作らない。(こういうときむやみにジャンクなものが食べたくなるのはなんでなんだろう。)

人と会う約束をしない。なるべく負荷がかかるインプットを避ける。(なぜか漫画だけは読める。)

お手入れと身だしなみは最低限。日課のエクササイズもしない。

頭の中にあることを紙に書き出す。もうだめ期は考えることが3つくらい重なると出現しがちなのでそれを整理してタスクにし、スクジュールに落とし込む。

感情も書き出す。ちょっとしたことに引っかかっていた自分に気がつく。意外と傷ついていたんだなとか。

そしてできる限りたくさん寝る。心が落ち着かなくなってきたら散歩をする。

 

だんだん何かしたくなってきた頃合で、大量の料理を作る。味の良し悪しや完成度より手際と品数重視。2時間くらいかけて10品くらい作ったら大体もう大丈夫だ。

もうだめ期でやわやわになった自分への4、5日分の栄養を眺める。

自然と家の掃除もしたくなり、ピカピカにすると次の日からは息をふきかえす。

ここまで短くて5日、長くて10日。

 

 

独り身一人暮らしフリーランスという、成人にあってこれ以上ないくらいの自由な環境下なのでそれは許されているけれど、たとえば家族のある人だったり、一人になる時間を得るのが難しいほど忙しい人はどうなのだろう。

そもそも忙しくてそういったものにも捕まってられないのか、それこそねぎを刻む的ソリューションがあるのか。

 

自分の扱いをうまくして、死ぬ時までなるべくハッピーな時間の割合を多くしたいこの頃である。