どどめ色に対する猶予
陸橋の上から見えた遠くの雨雲を見て、こちらも時期に降り出すね、なんて思いながら、不安や不幸が降ってくるのもそんな風に心構えが出来る時間があればいいのにな、なんて思った。
雨といえば、僕は傘を差すのが苦手だ。
「雨に濡れて地球に生きている事を感じたい」
なんてことはなく、
片手が塞がるのが不便。
かといってレインコートを着ようとも思えない。だからほとんどの場合、濡れて移動する。よほど土砂降りだったら使うけど。
関東は梅雨入りしたわけだけど、
雨上がりとセックスの事後ってなんか似てる気がする。
晴れ晴れとしたではなく、あー晴れたね、あー、スッキリしたね、よかったね、みたいな所。
無職だった頃、晴れた日に公園のベンチでタウンワーク片手にコーヒー飲むのが日課だった。あんなに晴れ晴れとする気持ちと、何処か憂鬱さが入り混じる心持ちの人生の1ページもそうないんじゃないかと思う。
なぜ公園でタウンワークかというと、
大学生活も終盤位から、周りが一斉に右向け右みたいに髪を染め直したり、企業説明会がどうのこうの言い出したのが気持ち悪くて就職活動というものをしなかった。
企業説明会ってどんなものかと参加したことがある。金髪に近い髪色で参加したら1社だけ、「君みたいな子、いいね」と言われた。
まぁ、皮肉だったんだろうけど。
とにかく、周りの集団的な動きに反抗したかったんだろうな。どこまでも子供だったんだと思う。曇り空みたいに曖昧な刻はその後すばらく続いた。
これを打ってる最中、突然近くで雷が鳴った。大雨が窓を叩きつけるくらい降った。
その内窓のサッシに当たる音が高音に変わった。雹だ!二階で寝ている子供たちが起きないか心配だったけど、微動だにせず明日の朝を待っている。
目を覚ますときには何もなかったかのような青空だったらいいね。
せめて心構えの時間をくれよ。
雨よ、悲しみよ。