チェンソーマンと村上春樹
ディーさんの自分を科学する、にReするにあたって、考えたけどひとつ記事にまとめるのが困難だったので、別記事に。
最近チェンソーマンという漫画にハマっている。
↓pv
↓第一話無料
https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156650024834/embed
もうなんか久々にがっつりハマった漫画!って感じ。
元々鬼滅の刃をネタバレ気にせずリアルタイムで読むためにジャンプのWEB版定期購読を始めたんだけれど、今はどっちかっていうとこっちが楽しみ。
毎週月曜の更新を、30になって待ちわびるとは思わなかったな。生きてるのが楽しいぜ。ありがとうジャンプ。
もちろん話も面白いし、絵柄も話に合ってるし、キャラクターも立ってて、展開も読めない。
それぞれ3000字くらいの記事にできそうなんだけどとりあえず置いといて、このマンガの何にそこまでハマってるかって言ったら、流れるような映像的コマ割り(ほんとに映画見てるみたいなの!作者が映画好きらしい)からなるスピード感に1番やられているのだ。
週刊でリアルタイムで追っているとなお際立つテンポの良さと、破茶滅茶なままグイグイ進んでいく、その速さは中毒性。
1話1話がほんとにあっという間で、スピードに乗せられて
「ウ、ウワー!面白れーー!!」
ってなったあとに、
「え、で、なんだったん?」
ってなって、もう一回もう二回読む。
なんていうか面白さが身体的なのだ。
テンポの良い音楽を聴いて思わず体が動いちゃう、みたいな面白さ。いちいち頭で考えない、体験的な面白さ。
ディーさんが紹介してくれた分類にはとりあえずなかった気がするけど、こういう体に訴えてくる面白さってあるよね。映画なんかだと特にそう。あんまり詳しくないからパッと浮かばないんだけれど、画面の作り方がカッコよくて音楽も良くて疾走感があって、なんていうかバーーーーーーーって連れ去ってくれるかのようなやつ。(そういう映画でオススメないですか?)
文章を読んでてもそういうのってあって、スピード感とは言わないまでも、なんとなくテンポの合う合わないってある。
句読点の使い方なのか単なる技術なのかわからないけれど、身体的に気持ちのいい文章、というのが確かにあって、私にとってそれの最たるものが村上春樹の小説だ。
彼の小説で根底にあるテーマみたいなものって基本的に変わらなくて、ある程度離れると割とどれも同じトーンで並んでいる。きれいなグラデーションが作れそう。
要するにどれを読んでも大して印象としては変わらないのだ。
なのに読む。エッセイはともかく小説はだいたい読んでるし、それも一回じゃなく繰り返し読んでる。
じゃあその内容が全てきちんと整理して頭に入っているかと言えば私の場合そうではなく、なんならほとんど覚えていないこともままある。あるシーンだけが妙に鮮明で、他全部忘れてたりとか。
熱心なハルキストには怒られちゃうな。正直彼の小説から何かメッセージを汲み取ろうともあまり思ってない。思ってないけど残ってるものは確実にあって、それは私を勇気付け続けているからよいのだ。
読んでいる1番の動機は、あのリズムが自分にとって心地よいから。猫が殺されているシーンであれ、人が皮を剥がされているシーンであれ、普通に読み切ってしまえるのはそのおかげだろう。
音楽を聴くように身体に作品のリズムを染み込ませて、それが段々ハイになっていくのを楽しむ。
そういう面白さも存在する。
そしてその面白さって書く側の身体に基づいていやしないだろうか、というのをたびたび思う。
村上春樹は毎日ランニングをする。
そして決まった枚数を執筆する。
チェンソーマンの作者、藤本タツキは、新人漫画家の頃は毎日ネームを一本担当に送っていたという。
内容とは直結していない毎日のリズムが、作品の根底を支えているのかも、と想像するとちょっとワクワクする。
つい頭ばかり使いがちな傾向にある私だけれど、身体で味わえる面白さ、頭じゃなくて五感と脊髄で味わえる面白さに、もうちょっと着目していきたいな、と最近は考えたりしている。