進撃の巨人に学ぶ新型コロナウイルスへの心構え
漫画は好きで読むけど所有するまでに至らない、そんな僕が唯一購入を続けているのが進撃の巨人(著:諌山創)だ。
現時点で31巻まで発売中だが面白さのインフレが止まらない、よくワンピはXXX巻まで、ナルトはOOO巻までが面白い、とか言われたりするけど進撃の巨人は間違いなく、そして常に「今」が一番面白い。
なぜなら物語がだんだんと濃くなっていくから。
「アラバスタ編」や「サスケ奪還編」みたいに細かく物語を区切って描かれておらず、進撃の巨人は最初から現在まで一貫して1つの濃厚長大な物語を描いており、ゆえに物語自身の深さと濃さが進撃の巨人は段違いでレベルが高くなる。(人は1つの物語である「〜編」に対して評価をし語るのである。)
※個人の感想です。
進撃の巨人を知らない人に(ネタバレ込みで)簡単に(かつ端折って)説明しておく。
巨人の脅威に脅かされる人々は巨大な壁の中で巨人を避けて生活していた。ある日、超大型巨人の襲撃を受けて壁が破壊され、侵入してきた巨人に蹂躙される。そこで物語の主人公であるエレンが調査兵団として巨人に対抗している最中、巨人化の力を発動させることにより危機を脱した。巨人化の謎に迫るべく苦難を乗り越えてかつての生家に向かい、実は壁の中の人々はほぼ全て巨人化できる能力を持ったユミルの民の末裔であり、外の世界から悪魔と恐れられる存在であり、エレンは巨人化の能力を持った父親を食らうことで能力発動出来るようになったという事実だった。そしてエレンの義兄であり王家の血を引くジークと接触することにより大量の超大型巨人の力を行使することが出来るようになったエレンは、自分たちを悪魔と蔑む外の世界の人たちを残らず駆逐すべく「地鳴らし」を発動させる。地鳴らしを発動させたエレンを止めるべく調査兵団と壁の外の人々は手を組みエレンに立ち向かう。
とまぁこんな感じだ。
ここで重要な点をおさらいしておく。
- 壁の中の人々は巨人を恐れていた
- ところが巨人の正体は自分たちと同じユミルの民だった
- ユミルの民は悪魔と恐れられ、自分たちは隔離された存在であり、巨人は自分たちを外に出さないための”檻”の役目を担っていた
壁の中の人々のアイデンティティが、巨人を恐る人々⇨王に虐げられる人々⇨壁の外に悪魔と恐れられる人々と変化していき、最終的にエレンが壁の外を駆逐することを正当な行為として妄信的に、そして狂信的に変わっていく様子にも注目したい。
話は変わり、新型コロナウイルスによる世界規模な大災害が発生し、世界中の人々は何かしらの悪影響を受けているような状況だ。
新型コロナの難しい点は、その致死率と感染力のバランスにあると言われており、これまでの致死率が高すぎるウイルス(例えばコレラウイルス)は感染拡大せず宿主たる人々を絶滅させることで終息し、逆に致死率が低いウイルスはあまり気にされず(例えばただの風邪)生活に溶け込みうまく付き合いながら生きていく道を模索することになる。
今回の新型コロナは感染力が高く、また通常の健康な人であればさほど致死率も高くない(という傾向にある)が、宿主の健康状態が悪かったり疾患持ちだったりする場合、高い致死率を発揮するという特徴を持つ、ゆえに厄介だ。
僕たちはLockdownや自粛という名の元に家に引きこもり、他人と接触しないようにしている(もちろん医療従事者のように懸命に対人活動を行っている人々もおり、大変に頭が下がる)。
僕は東京でサラリーマンとして働いている。
基本引きこもり(在宅勤務)だが、それにも限界があり週に1回程度の出勤をしている。
満員電車ではないが通勤時にはまだ多くの人が乗っている。
今、サラリーマン界隈で一番言われていることは
「会社の中で一番最初の感染者だけにはなりたくない」
「正直、他の誰かが最初にコロナに罹るとホッとする」
「コロナになって事業所閉鎖したら後々まで指さされる」
である。
僕もその気持ちはわかるし、正直同様な意見だ。
僕らは進撃の巨人から何を学ぶべきだろうか。
壁の中の人々は巨人に食べられることを恐れ、巨人になることを恐れ、世界の人々から殺されることを恐れた。
世界に殺される前に世界を殺してしまえ、という結論に至ったエレンは、仲間と世界の連合チームによって(多分)止められる運命にあるだろう(32巻以降に乞うご期待!)。
現実の僕たちはコロナになることを恐れ、コロナの媒介者になることを恐れ、そして感染した時に人々から迫害されることを恐れている。
僕たちはエレンと同じような末路を辿るべきではない。
僕たちは世界を脅威に晒すのではなく、世界を守るように振る舞い行動すべきだ。
そのためには「恐れ」を取り除く必要がある、恐れが人々を間違って行動に駆り立てるから。
感染者を指差して恐れることにより、感染者は名乗り出られなくなるだろう。
感染者が名乗り出なければ媒介者となり感染を広げてしまうだろう。
悪いのは感染者ではない、ウイルスそのものだ。
だったらまずは恐れない、そして適切に処置を行う。そこに余計な感情は挟まない。人ではなく、ウイルスを憎む。
自身のアイデンティティは簡単に変化し得る。感染者を憎む環境を作ることはいつしか自分を殺すかもしれない。
その意識が重要だと思う。
僕たちは皆、巨人になることを恐れ生きている。大事な人を踏み潰すかも知れない。ただ巨人になることを恐れて、人々を恐れ・迫害してはいけない。それは結局は自分を巨人へと追い込む行為になるのだから。