誹謗中傷で考える、認識するべきSNSの在り方について
この間、嫁に「トイレのドア毎回空いてるんだけど?締めてくんない?」と言われた。
心の小さいことに、僕はちょっとムカついた。
僕は意識してトイレのドアを占めるから、開いていたとしてもそれはごくたまにであり、毎回ではないことは明白。
「毎回じゃないよ、たまたまだよ。」
そう反論するとさらに「毎回だよ!」と怒られた。
理不尽だと思いながらも再度反論する気力も証明する手立ても持たない僕は、口を噤む他なかった。
(おかしい、もしかすると僕がドアを閉めた後に子供達がドアを開けているのか?いやそんなことはないはず、ブツブツブツ・・・。)
別の日、僕は嫁のベットのスタンドランプがつけっぱなしになっていることに気づいて消した。
嫁はほぼ毎回消し忘れている。
なので僕は「毎回消し忘れているよ」と注意した。
即座に「毎回じゃないし、毎日消してるし」と反論がきた。
そのセリフ最近聞いた、むしろ僕が言ったわ。
2人ともボケていない限り、明らかに実際に起きている回数と認識している回数にギャップがある、つまり、認知バイアスがかかっているようだ。
認知バイアスとは、認知心理学や社会心理学での様々な観察者効果の一種であり、非常に基本的な統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤り(虚偽記憶)など人間が犯しやすい問題である。
この認知バイアスというものは非常に厄介だ。
人が人に不満に思う理解されない・報われない、ということはだいたいこの認知バイアス故に起きる問題である。
認知バイアスの第一人者であり2002年にノーベル経済学賞を受賞した、ダニエル・カーネマン教諭は著書の「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」でこう述べている。
自分自身のバイアスを意識することで 、さまざまな共同プロジェクトがうまくいくという 。 共同プロジェクトには 、結婚生活も含まれる 。
この研究では 、夫と妻それぞれに 「家の掃除 ・整理整頓へのあなた自身の貢献度はどのぐらいですか ? 」と質問する 。
回答者はパ ーセンテ ージで答える 。夫と妻が答えた貢献度を合計すると 、ちょうど100%になるだろうか 、それとも上回るだろうか 、下回るだろうか 。
ご明察のとおり 、貢献度の合計は100 %を上回る。
その理由は 、単純な利用可能性バイアス(※)で説明がつく 。
夫も妻も、自分のやっている家事は 、相手のやったことよりはるかにはっきりと思い出すことができる 。
この利用可能性の差が 、そのまま貢献度の判断の差として現れるのだ。
(※利用可能性バイアス:目にしやすいものを信頼する、あるいは過大に評価すること)
認知バイアスにはいくつか種類があるので簡単に紹介する、ちなみにwiki参照だ。
・感情バイアス
感情的要因による認知と意思決定の歪み。都合のいい情報を好み逆を嫌う傾向などを含む。適切な情報を無視する事前確率無視や、問題の中でも重要ではないが突出した部分に「過大な重み付け」を与えるアンカリングも含む。
・後知恵バイアス
過去の事象を全て予測可能であったかのように見る傾向。
・確証バイアス、追認バイアス
個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという傾向。いったんある決断をおこなってしまうと、その後に得られた情報を決断した内容に有利に解釈する傾向をさす。
この「ファスト&スロー」曰く、人間の脳には すぐに結論に飛びつく「システム1」と、複雑に頭を使う「システム2」が備わっているとされる。
バイアスはこのシステム1を簡単にHackする。
とても重要な点だから留意して欲しい。
今回冒頭で挙げた我が家の例は典型的な感情バイアスによるものだ。
僕は自分の見たものを過大に記憶し、それを根拠に行動したのだ(嫁もだが)。
口を開く前に「本当に毎回だろうか?」と考えるべきだったのだ。
前置きが長くなったが、今回僕がこのブログを書くに至ったのは我が家の恥部を晒すためではない。
タイトルの通り、SNSの誹謗中傷について考察するためだ。
誹謗中傷にさらされ命を絶つ。とても痛ましいことだと思う。
なぜ人々は誹謗中傷を行うのだろうか。アラを探してミスをあげつらうのか。
端から見ていて嫌悪感を覚えるレベルで醜悪な振る舞いなのに、なぜ誹謗中傷する自分を正義だと思うのか。
結論からすると、起こるべくして起きている。そう言わざるをえない。
例えば、Twitter。
140文字以内の短文をツイートし、好きな人をフォローし、いいね!やリツイート、コメントをするSNSだ。
Twitterに限らず全てのSNSに言えることだが、人がハマりやすいように非常に良く「お手軽に承認欲求が満たされるように」デザインされている。
どういうことか。
パッと目に入る短文ツイート、それはシステム2を使って頭を働かせながら良く吟味する素材ではなく、システム1により結論に飛びつきやすい、いわば即物的な素材だ。
ツイートする人は塾考して書いた内容でも多くの人々は即物的に、システム1に従いぱっと見の雰囲気でなんとなくいいね!したりちょっとコメントつけてリツイートしたりしてツイートが拡散していく。
この拡散、つまりバズると、人の承認欲求はとても満たされる。そしてもっと満たされたくなりのめり込み、多くの時間を費やす。
さらに自分と気が合いそうな人はフォロー・フォロワーで繋がり、ただでさえバイアスで自分の意見を追認するものしか認識出来ないのに、さらにツイート欄には同質なコメントが溢れ、世間の考え=自分の考えのように強く錯覚し、自分を「正義」と誤認する。
人は、特にシステム1は、バイアスに弱い。バイアスにより、良く目に触れる内容を過大評価し、信頼し、追認し先入観を強める。「自分もそう思う!お前は最悪だ!」と言う言葉すらも承認される(ように感じてしまう)。
こうして人は誹謗中傷すらも行えるようになっていくのだ。
つまり、SNSの仕組みそのものがそういう方向性を持っているということだ。
こういうバイアスを科学的に分析し、SNSなどのデザインに活用されていることが良くわかる本として「僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた」がある。
世界を悪くしたいと思ってデザインされたわけではないと思う。
しかし人は弱い。バイアスをHackされ間違えた認識を持った人はとても傲慢に、凶悪になれる。
それが今回の悲劇の根本にあるように思う。
バイアスに負けないためには僕らはどう生きるべきか。
これらのバイアスというのは人間の本能に根ざしたものであるが、決して避けられないものではない。
繰り返し説明してきたように、システム1はバイアスにもの凄く引っかかりやすい。
だからシステム2を動かして、バイアスに影響を受けていないかを考えることで、バイアスの罠を避けることが出来る。
このシステム2を活性化させる重要な切り口として「問いを持つ」ということを「遅いインターネット」で提案しており、その考え方はとても勉強になったのでお勧めしたい。
人々は即物的な思考を強制されている、その事に対してもっと考えなきゃいけない。
(誤解ないよう補足すると、僕はTwitterやSNSが悪いと言いたいわけじゃない。デザイン設計に人がハマりやすいようにバイアスを上手く活用されていることをもっと認識すべきだと言いたいだけです。)
ブログ中で挙げた本まとめ⬇︎