Re:ただ、なんてことない日常
6/6(土)のなんてことない日常。
久しぶりに美容院に行く日。
少し早めに表参道に行ってジャイル4階のジャイル フード(GYRE.FOOD)でコーヒーとあんバターサンド(美味)を頂く。今年の頭くらいまでここは、「最高の立地にあるのに人が全然いない、お酒もコーヒーも飲めるお洒落休憩所」だったのだけど、この日は混んでいてお客さんがたくさんいた。これがこのお店の本来あるべき姿なのだと思うのだけどちょいと寂しい。(といいつつもリンクは貼っておく☟)
https://gyre-omotesando.com/shopsandrestaurants/gyre-food/
コーヒーを飲みながら南海キャンディーズ山ちゃんのエッセイを読んでいた。山ちゃんのストイック&捻くれエピソードの数々は読むのにけっこうなエネルギーを使う為、中々読み終わらない。3か月ほど時間を掛けてちまちま読んでいるけどこの日も読了できず。
時間になったので美容院へ向かった。
かつてYさんに髪を切ってもらっていたわたしは「美容院」及び「美容師さん」選びへのハードルが相当高くなっており、今のところに落ち着くまでちょっぴり苦労した。1、2か月に1度のこの時間はわたしの大好きな時間で、カットの間はずっと音楽や洋服や趣味の話をしていたと思う。面白くて しかもいつもわたしの想像以上に可愛くしてもらえる顧客満足度最高美容師さんは東京といえどそう簡単には見つからない…。やっと見つけた今の人にした決め手は 初めて髪を切ってもらったとき「子供のころのトランクスみたいにしたい」とお願いしたところ 画像も見ずにトランクスヘアーにしてくれたからでした。(もちろんそれ以外の理由もあるけど、多くを言わずともイメージ通りにしてもらえる喜びは大きかった。)今回もイメージ通りの髪型にしてもらえてるんるん気分。
美容院に行ってスッキリしたわたしは祐天寺の鳥焼肉のお店で友達と飲んでいた。
音楽好き4人で飲みながら音楽遍歴を語っているとわたし以外の3人がレッチリ好きということが判明し(わたしはほぼ通らなかったレッチリ)「あの曲が~このアルバムが~」なんて話していたんだけど。うろ覚えで曲名もアルバム名も中々出てこない、そんなときマスターが「それ〇〇ですね。」とさりげなく程よい感じで入ってきてくれたり 曲をかけてくれたりした。マスターのナイスアシストとおいしいお肉&ワインで愉しい時間を過ごした。ありがとうございます。また行きます。
Cotori (鳥焼肉と自然派ワインCotori)
最後は友達宅、YOUTUBEで懐メロを流して歌って踊って疲れ果てた。音楽にまみれて過ごしたかった夏、行きたかったライブもフェスもどんどん中止になるのは悲しいけれど。また来年か。長い一日はフジファブリック『若者のすべて』で終わり、大変えもかった。
フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)
記憶喪失という体験
「今日って何月何日ですか?」
「今って何時何分ですか?」
某テレビ番組で記憶を失った人についての書籍の紹介をしていて思い出した。
そういや、自分も断片的な記憶喪失になったことがあるなと。
以下に打つことは当時周囲の人達から聞いたお話です。
中学生二年生の時、その日は学校で創立何十周年かを祝う行事があった。
午前中に近くの文化センターでオーケストラかなんかの演奏を聴いたりして、午前中で下校。
ただ、当時入部していた部活が県内外では比較的強豪校で、僕達はそのまま学校に戻り昼食後から練習になっていた。
練習時間まで少し時間があった僕達は校庭でふざけ始めたらしい。
先輩たちと相撲を取るという流れになり、
どういうことか「僕は頭を打った」らしい。
どういうことかと打ったけど、相撲を取ったら頭を打つこと位あるよね。
特別痛がる様子もなく、その場は笑いあったりしていた。
ただ、一時間後、二時間後と時間が経つにつれ僕の様子はおかしくなっていった。
何度も何度も何度も、
「今日って何月何日ですか?」
「今って何時何分ですか?」
「どうして僕は此処にいるんですか?」
ということを確認するようになっていた。
何度も何度も何度も何度も何度も。
そのあたりで先輩たちも僕の異様な様子に怖くなり、顧問に報告。
たぶん先輩たちは相当焦ったと思う。頭を打った後輩の頭がどう見ても普段とは違うんだもの。
両親に連絡が入り、僕は病院に連れて行かれた。
MRIに入ってスカスカの頭の中を検査されたりしたらしく、こんな事があるならもう少し密度の高い脳味噌を見てもらいたかったな、後から思った。
検査の結果、特に大きな大きな異常もなく、時間が経てば元のようになるでしょうと診断。
夜、自宅の冷蔵庫からジョアを取って飲んでいる、親と何かことばを交わしている、ここだけはボンヤリと他人事のように思い出せる。
他人事と打ったけど、本当にそう。
ここまで述べたこと、今でも思い出せない。
薬箪笥のような記憶の引き出しが一カ所だけ無くなってしまったのだ。
だから上記の事は、今でも全て聞いたこと。聞かされた事を僕が信じた結果の話。
あくまで聴いた他人事の話を「信じて」自分事に置き換えた話。
いろいろなケースがあるんだろうけど、僕は短期ではあれど記憶喪失になったこと、異様な様子になったこと、それら全てが自分事ではない。記憶にないからね。
もしかしたら、頭を打つ前の自分と打った後の自分や周りは何か違っていたのかもしれない。
まぁそんなことはないんだろうけど、僕が映画や小説の核心的な人物だったら、何か物語が動くキッカケになれたのかもしれないなぁ。
頭を打つような出来事があったら時間差で影響が出るから気をつけてね。
ただ、なんてことない日常
交換雑記は元々交換日記をしたいというの始まりだった事を急に思い出した。
これは何にも頭は使わずダラっと読める日々の日記である。
お暇な方が付き合ってくれたら幸い。
6/1 月曜日
今日は月初だ。仕事は休み。
先月やれた事、やれなかった事の棚卸し。(プライベートの)
ライフワークでは月間100キロのランニングはクリアしてた。自分でもよく走ってると思う。なんと言っても疲労感が気持ち良いのが癖になる。睡眠に入るときがなんとも気持ちが良いのだ。しかしながらこれからは日差しも強くて、今年から少し気合入れて日焼け対策しているのでどうするか少し悩む。夜走れば良いのだが、ランニングは朝が気持ち良いのだ。
昼間は新しい事が始まるので書類のリーガルチェックをしてもらいに司法書士さんの事務所に行った。(結局仕事してる)そう言えば転職活動する時に行政書士の資格を取ろうとしてたことをふと思い出した。もう5年近く前になる事でる。あれは一つのターニングポイントだったと思った。5年後の未来を予測してもその通りになることなんて無いな。
日記を書いている今、外からは花火の音がきこえている。医療従事者に対する感謝の気持ちを込めて日本全国の花火師が参加したプロジェクトらしい。前粋な計らいだとは思うけど、我が家からは見る事は出来なくて残念。
6/2 火曜日
今日は仕事だ。
月初なので今月仕事として必ずやりたい事のリストアップと進捗目安スケジュール管理をする。
午後にはアポイントが入っている。うちの企業に来る外部のセールスマンに合うのはほぼ、私が担当している。
今日来た、初めて会うセールスマンは個性的なジャケットスタイルで髪型はツーブロックの上の部分を縛っているような格好をしていた。私は外見に対して偏見などは持たないけど、自分の好きな格好をしていると損をしてしうのではないかと変に心配する。口にはしないけど。何故なら仕事は細部にこそ美しさが出ると思っている。(うちにくるセールスマンは)きちんとスーツを着れる人が少ない気がする。スーツは相手に対する配慮だと思っている。きちんと着こなす人は隙が無い。大概そういう人は仕事の仕方が丁寧で細かい。だってそこまで拘れる人なのだから。
提案されたサービスは着眼点が良い案件だとは思ったけど、うちの規模では活かしきれないから断ろうと、5分話聞いて段階で即決した。忖度したく無いのでその場ではっきり断った。
あとどれだけ面白くてもつまらなくてもアポイントの時間制限は45分と決めている。時間が足りなくなる時もあるし、余っても話す。新しい人と話すことは何かしらのインプットがあるから。
外部の人の話を聞くことが好きだ。正式には話を聞いて突っ込みを入れることが好きだ。今回は提案先の方向性のフィードバックと、こんなアイデアだったら欲しいと新しい企画アイデアをプレゼントして帰ってもらった。そんな発想はなかったですと言って彼は帰った。
人の縁なんで流動的なモノなので今日お会いした人も縁側有ればまた会えるでしょう。きっと。
6/3 水曜日
いつも朝一にメールのチェックをする。
毎日…襲来する強敵、電話のベル…(とメール)
ただ生きているだけで情報がたくさん来る。実際の着ているメールの中で返信しなくてはいけないものは2、3通程度。あとはいらない情報だ…。なんて気づいた時に少し時間かけて目に着くメーリングリストを片っ端から解約した。そして片付いていない案件以外のメールを全て消した。その数は20,000件を超えていた。メールボックスが空になったら凄く心が軽くなった。若干、見返したりすると楽しいというか、当時の記憶が戻るような気持ちになるようなものもあったけど振り切って消した。
空白のメールボックスは思いの外、気持ち良いモノだった。
もし引っ張り出したいデータや文章があり、削除してしまって困るようなことがあれば時は、潔く謝ろうと思った。
そう言えばもう久しく誰かに謝るという事をしていない。
何か誠意を持って謝りたいって変なこと思った。気持ち良いことではないけどリカバーしたあとのあの妙な気分を味わいたいって変なこと思った。
6/4 木曜日
今日の仕事は、とある販促物のデザイン企画と指示出しをする。
ラフ画を作成して、販促物を使うであろう人と情報のすり合わせをして、デザイナーに投げる。作業を言葉にするのは簡単だけど、実際は相当神経使う。
人に伝えると言うことは容易いことじゃない。
仕事のモットーの一つにどんなことでも伝え方で仕事進み方が変わると思っている。
どんな言葉も伝わらなければ、言語の意味がない。伝わるだけではダメで、理解し、納得、行動までできないと良い仕事とは思えない。
例えば、”販促物企画を纏めるための資料を集める”という行動をする時に
『資料!まとめといて。明日までに!』
と
『販促物を作るのに、他社の資料を集めてくれますか?〇〇さんの視点で集めて資料の中で良いと感じたところをチェックして出してくれたら、とても参考にしやすくなります。〇〇さんの視点、楽しみにしてます。』
では指示のあとの行動も変わるし、気持ち良さも全然違うと思う。
言葉は全て受け手のモノだって意識してる。
そんなつもりじゃなかった…と齟齬があっても結局、伝え切れていない自分のせいだと思う事にしてる。そうすると、選ぶ言葉も変わる。
大切にしている一つのライフハックである。
6/5 金曜日
ここの所、狂ったように本を買っている。全然読めていない本もあるのについ買ってしまう。通勤で片道30分かかるその時間が本を読む時間にしてるけども。
大人になるの良いところにこれがある。
欲しいと思える本を買えるという事。本は安いものもあれば高いものもある。あれもこれも欲しいと、一回で一万円を超えてしまう事だってある。1万円が安い金額だとは勿論思わないけど、本に1万円を出しても良い。と思えるようになったのは大人になった証拠だとふと思った。昔は一冊一冊を擦り切れるぐらい試し読みして本当に必要な内容なら買う。って感じではあったけど最近はタイトル買いなんて、よくある。(アマゾンで買うことが多いからだけど)本屋さんでずっと欲しい本を探すのも楽しいものだ。
本を読むのは少々疲れる行為だ。仕事で疲れた帰り道に本を読むと内容が入ってこないこともある。でもただただ、活字を追いたい気分なのだ。
今日は小説一つ読んだ、人が亡くなる話だった。
なんとなく恥ずかしいので読んだ小説の名前はここに書けないでいる。
小説はあんまり読まないのだけど、『物語を読まないと感性が育たないよ』って誰かに言われた言葉をたまに思い出す。
紙の本と電子書籍が6:4ぐらいの割合になってきた。
紙の本はスペースとるけど、必要なければ売ることもできるし、何より読んでいて気持ちが良い。電子書籍はやはり味気ないけど、持ち運び的にはとても良いし、メモがしやすい…。みんなはどっち派?漫画は全部Kindleになってきたな。本が沢山ある家とかも憧れるけど。できるだけモノを持ちたく無いからな…。
6/6 土曜日
今日は土曜日だけど仕事をしている。
土曜日の職場は人が少なく気持ちが良い。
外部からの連絡も無いから集中しやすい環境でもある。
何かを考える、ドバッと作業をするという日としてバッファー的な感じで使う土曜日の仕事が好きなのだ。
好きな音楽をかけて、来週の調節を考えて少し早めに上がって家に帰ろう。
さてやっと週末だ。美味い酒を飲みたい気分だ。
…と書いてみて思ったけど1週間は早い。
光の速さで過ぎていく。
歳を取ると時間の流れが速いというけど、とても実感している。
なんてことない。自分の日常だ。
ここまでお付き合いいただきありがとう。
他の雑記メンバーの誰かも日記書かないかな
人の日常を覗き見たい
誹謗中傷で考える、認識するべきSNSの在り方について
この間、嫁に「トイレのドア毎回空いてるんだけど?締めてくんない?」と言われた。
心の小さいことに、僕はちょっとムカついた。
僕は意識してトイレのドアを占めるから、開いていたとしてもそれはごくたまにであり、毎回ではないことは明白。
「毎回じゃないよ、たまたまだよ。」
そう反論するとさらに「毎回だよ!」と怒られた。
理不尽だと思いながらも再度反論する気力も証明する手立ても持たない僕は、口を噤む他なかった。
(おかしい、もしかすると僕がドアを閉めた後に子供達がドアを開けているのか?いやそんなことはないはず、ブツブツブツ・・・。)
別の日、僕は嫁のベットのスタンドランプがつけっぱなしになっていることに気づいて消した。
嫁はほぼ毎回消し忘れている。
なので僕は「毎回消し忘れているよ」と注意した。
即座に「毎回じゃないし、毎日消してるし」と反論がきた。
そのセリフ最近聞いた、むしろ僕が言ったわ。
2人ともボケていない限り、明らかに実際に起きている回数と認識している回数にギャップがある、つまり、認知バイアスがかかっているようだ。
認知バイアスとは、認知心理学や社会心理学での様々な観察者効果の一種であり、非常に基本的な統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤り(虚偽記憶)など人間が犯しやすい問題である。
この認知バイアスというものは非常に厄介だ。
人が人に不満に思う理解されない・報われない、ということはだいたいこの認知バイアス故に起きる問題である。
認知バイアスの第一人者であり2002年にノーベル経済学賞を受賞した、ダニエル・カーネマン教諭は著書の「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」でこう述べている。
自分自身のバイアスを意識することで 、さまざまな共同プロジェクトがうまくいくという 。 共同プロジェクトには 、結婚生活も含まれる 。
この研究では 、夫と妻それぞれに 「家の掃除 ・整理整頓へのあなた自身の貢献度はどのぐらいですか ? 」と質問する 。
回答者はパ ーセンテ ージで答える 。夫と妻が答えた貢献度を合計すると 、ちょうど100%になるだろうか 、それとも上回るだろうか 、下回るだろうか 。
ご明察のとおり 、貢献度の合計は100 %を上回る。
その理由は 、単純な利用可能性バイアス(※)で説明がつく 。
夫も妻も、自分のやっている家事は 、相手のやったことよりはるかにはっきりと思い出すことができる 。
この利用可能性の差が 、そのまま貢献度の判断の差として現れるのだ。
(※利用可能性バイアス:目にしやすいものを信頼する、あるいは過大に評価すること)
認知バイアスにはいくつか種類があるので簡単に紹介する、ちなみにwiki参照だ。
・感情バイアス
感情的要因による認知と意思決定の歪み。都合のいい情報を好み逆を嫌う傾向などを含む。適切な情報を無視する事前確率無視や、問題の中でも重要ではないが突出した部分に「過大な重み付け」を与えるアンカリングも含む。
・後知恵バイアス
過去の事象を全て予測可能であったかのように見る傾向。
・確証バイアス、追認バイアス
個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという傾向。いったんある決断をおこなってしまうと、その後に得られた情報を決断した内容に有利に解釈する傾向をさす。
この「ファスト&スロー」曰く、人間の脳には すぐに結論に飛びつく「システム1」と、複雑に頭を使う「システム2」が備わっているとされる。
バイアスはこのシステム1を簡単にHackする。
とても重要な点だから留意して欲しい。
今回冒頭で挙げた我が家の例は典型的な感情バイアスによるものだ。
僕は自分の見たものを過大に記憶し、それを根拠に行動したのだ(嫁もだが)。
口を開く前に「本当に毎回だろうか?」と考えるべきだったのだ。
前置きが長くなったが、今回僕がこのブログを書くに至ったのは我が家の恥部を晒すためではない。
タイトルの通り、SNSの誹謗中傷について考察するためだ。
誹謗中傷にさらされ命を絶つ。とても痛ましいことだと思う。
なぜ人々は誹謗中傷を行うのだろうか。アラを探してミスをあげつらうのか。
端から見ていて嫌悪感を覚えるレベルで醜悪な振る舞いなのに、なぜ誹謗中傷する自分を正義だと思うのか。
結論からすると、起こるべくして起きている。そう言わざるをえない。
例えば、Twitter。
140文字以内の短文をツイートし、好きな人をフォローし、いいね!やリツイート、コメントをするSNSだ。
Twitterに限らず全てのSNSに言えることだが、人がハマりやすいように非常に良く「お手軽に承認欲求が満たされるように」デザインされている。
どういうことか。
パッと目に入る短文ツイート、それはシステム2を使って頭を働かせながら良く吟味する素材ではなく、システム1により結論に飛びつきやすい、いわば即物的な素材だ。
ツイートする人は塾考して書いた内容でも多くの人々は即物的に、システム1に従いぱっと見の雰囲気でなんとなくいいね!したりちょっとコメントつけてリツイートしたりしてツイートが拡散していく。
この拡散、つまりバズると、人の承認欲求はとても満たされる。そしてもっと満たされたくなりのめり込み、多くの時間を費やす。
さらに自分と気が合いそうな人はフォロー・フォロワーで繋がり、ただでさえバイアスで自分の意見を追認するものしか認識出来ないのに、さらにツイート欄には同質なコメントが溢れ、世間の考え=自分の考えのように強く錯覚し、自分を「正義」と誤認する。
人は、特にシステム1は、バイアスに弱い。バイアスにより、良く目に触れる内容を過大評価し、信頼し、追認し先入観を強める。「自分もそう思う!お前は最悪だ!」と言う言葉すらも承認される(ように感じてしまう)。
こうして人は誹謗中傷すらも行えるようになっていくのだ。
つまり、SNSの仕組みそのものがそういう方向性を持っているということだ。
こういうバイアスを科学的に分析し、SNSなどのデザインに活用されていることが良くわかる本として「僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた」がある。
世界を悪くしたいと思ってデザインされたわけではないと思う。
しかし人は弱い。バイアスをHackされ間違えた認識を持った人はとても傲慢に、凶悪になれる。
それが今回の悲劇の根本にあるように思う。
バイアスに負けないためには僕らはどう生きるべきか。
これらのバイアスというのは人間の本能に根ざしたものであるが、決して避けられないものではない。
繰り返し説明してきたように、システム1はバイアスにもの凄く引っかかりやすい。
だからシステム2を動かして、バイアスに影響を受けていないかを考えることで、バイアスの罠を避けることが出来る。
このシステム2を活性化させる重要な切り口として「問いを持つ」ということを「遅いインターネット」で提案しており、その考え方はとても勉強になったのでお勧めしたい。
人々は即物的な思考を強制されている、その事に対してもっと考えなきゃいけない。
(誤解ないよう補足すると、僕はTwitterやSNSが悪いと言いたいわけじゃない。デザイン設計に人がハマりやすいようにバイアスを上手く活用されていることをもっと認識すべきだと言いたいだけです。)
ブログ中で挙げた本まとめ⬇︎
ニューバランスとコンバースについて話したい
こんにちは。
みんなさん、お元気ですか?私は元気です。
さて、唐突だがNewbalanceとconverseの話がしたい。
そして今日は日記では無い。
もはや会話。一方的に話していく。
時間ある人はついてきてほしい。
突然始めることにする。スニーカーについて。
文字起こしして感じるけど、ニューバランスって名前良いな?
”新しい 均衡” ”新しき つりあい”
和約とっても良いな?なんだかグッときた。
さて本題。
初めて見たとき、何が良いのかさっぱりわからなかった。
多分初めての出会いは10代の前半かな?
中学校の時、登下校の靴は”トゥガードで無いといけない”という謎の決まりがあってだな。
トゥーガードは爪先を守るもの。何故そんなに爪先の守備を求められていたのだろうか。今でも不思議に思う。
なのでニューバランスを履いているヤツが多かった。
574シリーズ履いているヤツが多かったな。
今思うとNの主張、激しい靴だな、しかし…
校則=ダサいという方程式ができていた俺には、格好良くは無いモノという印象だった。これがニューバランスとの出会い。
じゃぁお前は何を履いていたのか、だって?
当時のおれは校則ガン無視して、黒のコンバース吐いていた。ローカット。
かかとは潰している。学ランの中は白いパーカー。靴はローカットのコンバース。
これが十四歳の精一杯のお洒落と自己主張。
そして、いっつもMDを聞いていた。ロックとかパンクとか。
バンドやっているやつはニューバランスじゃなくコンバース。カートコバーンがジャックパーセル履いているように。
(黒い歴史を敢えて此処で晒しては供養することにした)
とはいえ中学生。運動するじゃん?
圧倒的にニューバランス のが早く走れるんだ。コンバース…運動しにくい…。
けど絶対意思を曲げなかった。
心の中で思ってた。使い勝手の良さよりも、自分のポリシーと好きなカルチャー。
今思うと相当恥ずかしいのだけど、本当にこう思っていたことを今でも鮮明に思い出せる。
そして時は回り10代後半〜20前半頃。
またニューバランス を意識することになる。流行っていた。
空前の996ブーム。自分の周りにも履いているヤツがちらほら居た。
とはいえ、ニューバランス のかっこよさは未だに分からなかった。
574よりはスタイリッシュではあるけど。
996はいている友人はみんな白シャツにチノパンにニューバランス 。
あとそん時流行ってた山ボーイとかの格好のやつ。
わりかし真面目な人が履いている印象。
やっぱりそんなにカッコよくは思えなかった。
うん。第一にフォルムが好きじゃ無いな。
じゃぁ当時の俺は何を履いていたかって?
スニーカーはコンバースでしょ。
ミハラのコラボのスニーカーとか良く履いてたな。
そんな中、記憶がうろ覚えで申し訳ないのだが
ショートカットパーマをかけている女の子が、青のプルオーバーのマンパに黒のスキニー、足元はニューバランス(多分996) にジャイアントのクロスバイクで颯爽と登場した時に妙にそのスタイルが格好良いと思えたんだ。
(swimmyなんだけどどね)
それが何故良いかは今でも言語化はできないでいる。
ただとっても雰囲気に合っていた。
はじめてニューバランス いいかもと思えた。
そして、20代後半になって気づいてきたんだ。
当時、自分が良く遊んでいた場所の中にいる”好きな”大人達は、みんなニューバランスを履いているということに。
996,990,1500あたりか。
大人はニューバランスを履くというのイメージをもったのもこの頃だったな。
あれ?意外にニューバランスってもしかしてアリなのでは?とは思うもの、自分で履くとしっくりはこない。スポーティすぎるし、何だか子供臭い感じる、574の学生時代の記憶がリフレインする。
上手にニューバランスを取り入れてる大人が言う
『ニューバランスは元々義足のメーカーなんだ。だから足に優しい』
妙にこの言葉だけが残ってる。いつもハンチングにTシャツにニューバランス1500を履いている素敵な年上の男性だった。
そのスタイルがとっても似合っていて、好きだった。
(そんな作り手の話まで聞いたら気になるな…コンバース…足痛くなるし…)
今調べ直したら
1906年、ボストンでアーチサポートインソールや偏平足などを直す
矯正靴の製造メーカーとして、ニューバランス社は誕生しました。
社名の由来は、履いた人に"新しい(new)、バランス(balance)"感覚をもたらすことによります。
義足では無く扁平足を治すためだった。当時の聞き間違いか。
いずれにせよ医療面からのアプローチなのか。
だから、ニューバランス 。そんな意味合いがあったのね。
ふ〜ん。やるじゃん。NB。
まぁおれはコンバース履くけどね。
やっぱりコンバースのがシュッとしてるし、スタイリッシュ。
疲れるけどこのミニマルさがよい。
一時期、ナイキのエアフォースが流行り出して買ったりもしたけど自分には合わなかった。バスケやってないしな。自分のカルチャーに合わない。
VANS派も居た。しかし自分はスケーターじゃ無いしやっぱり一足で終わった。
スケーターが擦りきらして履いているVANSはカッコ良い。それは俺じゃ無い。
あとアディダス。アディダスは良い。コンバースに飽きた時だけ浮気しにいく。
スーパースターとスタンスミス。不動の名作。このシンプルな感じがしっくりくる。
テニスもしていなければ、RUN DMC聞いてないけどアディダスはいいな。
ん?そんなこと言うとコンバースもオールスターはバスケの靴じゃんとか言われそうだけど。
いいんだ。自分にとってコンバースは運動靴では無く、バンドマンが履く靴だった。(2回目)
そして20代の終わりの方でまたニューバランス を意識する事件が起きる。
ジョブスだ。
あいつが作ったノームコア。衝撃だった。
あ、これだわ。自分のスタイル。と思ったのを覚えている。
リーバイス501のブルーデニム
ニューバランス992
多少のサイジング感とかの古さは感じられるけど。
今見ても良いと思う。時代を感じさせないスタイリング。いつも同じ服、ノームコア。
ふ〜ん。いいじゃん。NB。
ジュブスが履いてたのは992ね。 頭の片隅に入れとこう。
そして30代に入ったあたりから切に体感していることがある。
今までの格好が突然似合わなる瞬間が来るのだ。
感性的には同じものが好きなのだが…
20代の時に好んでいた服が
肉体的に、社会的に違和感を感じるのだ…
(自分だけが感じることなのかも)
バンドT、クラッシュデニム、足元は黒のコンバース。
なんてスタイルは今でも大好きなのだけど。
何故だかしっくりこない。
(もちろん似合う30代の人も沢山いる)
白Tにデニムにコンバースは自分の定番のスタイル。
今でもよくやるけど、気を抜くと貧相にも見えるのだ。
さらにたちの悪いことには、若さのマジックが効かなくなった肌というのは合わせるものの素材の良し悪しを如実に反映する。プチプラのトップスが似合わなくなったり、安い靴が貧乏くさく見えたり。アクセサリーもそれが顕著で、安いものはもう、そのまんま安い。
ピアス - 交換雑記
雑記仲間のおはるちゃんもいっていたな。
そう、若さのマジックが効かなくなっている。
そんな中で気づいたことがある。
白Tにスラックス、ニューバランスにすると良い感じなのでは?
若すぎる感じがしない。でもカルチャー感もある。
そして俺は、恐る恐る990のニューバランスを買った。
なんだか過去の自分を否定するようで悔しい気持ちと恥ずかしい気持ちと変な感情だった。履きたく無いような試したいような…そう戸惑いながら試してみたんだ。
足、楽ッ!!!!!
ニューバランスは、いとも容易く俺に馴染んだ。
2秒。
2秒で馴染んだ。
それは優しく包み込まれるような感覚。
衝撃的だった。何時間歩いても負担が少ない。
コンバース履いてたら足が痛くなるのに、NBなら耐えられる。そんなシーンを幾度なく超えてきた。今まで疎遠しててごめん。もうNB本社に足を向けて眠れない。通勤の時とか最高ですわ。フォルムに関しても547と996はしっくりこなかったけど990は見ているとなんだか気に入ってくるのが不思議。スタイリッシュに見える。1500とか高級感あって寧ろドレッシーじゃないか。いいやん。あと、ニューバランス履いてる大人ってこなれてる感出てる。はー。やっぱり足に優しいは正義。靴ってものは足を守るためにあるものだ。だから大人はニューバランス を履くのか。理解。納得。
年齢ともに似合うものやハマるものが変わる。
ずっと同じものを着続ける方が難しい。
そういう変化に気づいて、新しいモノを試しては新しい気持ち良さを探す。
というのがファッションの醍醐味じゃ無いかと感じた。
久々に変化を楽しんだ。
ニューバランスを履くと新しいバランスが取れる、
こ、これが新しい釣り合いってやつか!!!
みんなの好きなスニーカーはなんですか?
また、突然言いたいことができたら現れます。では、また。
Re:Re:パンツのはなし
パンツ。
男子のパンツ。
女子のパンツ。
それはお互いにとって解けそうで解けない、見えそうで見えないのがいい、毛むくじゃらのミステリー。
よく分からないけど、毛むくじゃらのミステリーって言葉が卑猥でいいね。
これが伝えたかっただけなので個人的には満足なんだけど、さすがに何の山も谷もないので、勝手ながら僕のパンツ遍歴を語りたいと思う。
オムツ卒業後~小学校中学年:白ブリーフ
小学校高学年~中学校卒業:トランクス
高校~25歳位まで:ボクサーパンツ
~現在:トランクス
というのが簡単な僕のパンツの歴史。
今の子供たちは分からないけど、僕が小さい頃は白ブリーフが王道だった。
逆に小学校低学年でトランクスなんて履いてるクラスメイトが居たら鬼の首を取ったかのように冷やかしの対象だったと思う。
そんな小さな頃から同調圧力という空気感に晒されるんだから怖いね。
話は戻って、僕は一度トランクスに別れを告げたもののヨリを戻したわけだ。
しばらくボクサーパンツという雨の日も雷の日も程よく包み込んでくれる器の大きさに身を任せていたのだけれど、平穏というのは退屈にもなるわけですよ。
可愛い子には旅をさせろとゆうフレーズがあるように、僕の僕が過保護な環境下から飛び出したいと訴えてきたわけです。
僕は僕の僕の使用者なので悩みましたが、ボイコットされていざという場面でやる気を出されなくなってしまっては惨めな思いをするだけなので、トランクスさんを改めて受け入れました。
トランクスさんは基本的にドライです。
ボクサーパンツさんのようにいつも近くで包み込んではくれません。
しかし、言い換えれば自由でフリーダムなのです。
これこそが僕の僕が望んでいた自由。
目を閉じると瞼の裏に感情が絵画になって浮かびます。
余談ですが、野郎のパンツにユニクロ、無印が多いのは、無難だから、買いやすいという所に落ち着くからではないでしょうか。
Re:パンツのはなし
パンツというものは自意識にかなり根ざしているもののような気がする。
基本的に人に見せないことを前提としているからからだろうか。
新しいシーツ、新しいタオル、新しい下着。 肌に直接触れるものが新鮮であり続けることは贅沢だ。
パンツのはなし - 交換雑記
そこに意識を向けられるということがまず自分を大切にする=贅沢への第一歩(人によって贅沢も違うけど)だと思うし、
下着は美容とよく似ており、こだわりたいときととりあえず尻と乳だけ守っていてくれという時期がある。
パンツのはなし - 交換雑記
これもすごくよくわかる。とりあえずの時は大体他に意識を回している時だったりする。
肌に近く、人に見せない、社会性を有しないことから、服よりも下着のあり方の方がより精神性が反映されそう。女性の方が如実だろうけど男性だってある程度そうではないかと推測する。何もデザインの話だけじゃないしね。状態とか管理とか。
そう、そして私は気になってたことがあるんです。男子のパンツについて。
その1
男子達のパンツ、一体いつボクサーパンツに市民権が移ったのか
これはミクロもマクロもなんですけど、マクロでいくと多分私(30)が高校生くらいまではまだ結構トランクス派居たと思うんですよ。男子のパンツ何が好きかとか話してた気がするし。
それがいつの間にみんなボクサーになったんだろうか。
ミクロでいくと過渡期にいたはずの同世代たち、どのタイミングで、何がきっかけでボクサーにしようと思ったのか。多分誰しも最初は家の人に下着を買ってもらっていたと思うんだけど、どのタイミングで下着のイニシアチブを自分で握るようになったんだろう。
何となくそこには成長に従った自意識の芽生えみたいなものがあるように思えてならない。
女子に置き換えるとツルツルの下着を着るようになる感じだと思うんだよな。
ブラジャーは機能として必要になり着けるようになるものなので当てはまらないけど、子供用の下着って大体コットンでできてるんですよね。ブラジャーも入門編?子供向け?ってコットン素材のものが多くて、大体そっから入ると思うんです。
なんとなくその頃にあった、ツルツルの、レーシィな下着に対しての抵抗。
一回着けるようになってしまえばどうってことないんだけど、着替えの時友達に見られるのも恥ずかしい、みたいな。
どうですかね。男子たち。
その2
男子達のパンツ、ユニクロ率高くない?上位互換てあるの?
単純にパンツを頻繁に見るような関係の男性に、カルバンクラインのボクサー穿くタイプの男性がいなかっただけかもしれない。キャラ物穿くタイプもいなかったな。
なんとなく男子のパンツってユニクロが最適解のゴールになってる感ありません?
いやそんなこだわりを持てとかいう話ではないんですけど、でもやっぱり
なんともフィットしない。これは我々のパンツではない。 お前は今年は贅沢するんじゃないのか。 尻と大陰唇のシュプレヒコール。
パンツのはなし - 交換雑記
こういうことって男性にもあるんじゃないかと思うんです。
尻と股間がシュプレヒコールを起こした場合ってどこに行くんですか?難民の受け入れ先は?
昔、黎明期のhacoでナイスポジションパンツっていうポジショニング問題に切り込んだパンツが売られていたのを覚えてるけど、こだわり派シティボーイたちがユニクロを抜けて選ぶパンツってどこのなんだろう。
そして何が違うのだろう。
なんーとなく女性のそれと違って雑に扱われている気がする。同じく大事なのにな。
もうこれ性的なこと関係なく純粋な興味なんですけど、この話させるのって性別関係なくなかなかのセクハラですよね。
「純粋な興味っていうんであれば開き直って教えてやらあ!」って方、いましたらぜひご指導ご鞭撻のほど。