Re:Re:天才を殺す凡人
いきなり本題と違うこと言い始めて悪いんだけど、このブログいつの間にか見てる人1000人超えてたのね。
かなり狭いインターネッツとして自分が必要として始めて、書くのも読むのも面白いから続けているんだけど、人から見ても面白いのかしら。謎。
とはいえ一応世界に公開しているわけだし、コンテンツとして他人が読んでもある程度楽しめるものを書こうという気はあるんだけど、ディーさんのレビューはそういう意味でも本当に素晴らしいね!褒めてどうこうしようっていうんじゃなくて素直にそう思う。
読んだことがない人が見てもわかりやすくて面白いもん。
その点私はというと、卑下してるわけじゃなくて、全くダメみたい 笑
「これ読んで興味持ったら自分で調べるでしょ!ググれググれ!」
みたいになっちゃう。雑だわ。だからモテないんだな。
そういうわけで、いろんな面からの消去法で、やっぱり私は天才(創造性)の割合のかなり高い人間なんだと思った。
ちょっと話逸れるけどこの本の唯一気にくわないとこはさ、カテゴリーのネーミングだよね。もちろん後でフォローはしてるし、ディーさんの言うように全員にどの要素も含まれているわけだけれど、どうしても
天才>秀才>凡人
みたいな言葉のイメージがあるじゃない。いやキャッチーだからってのはわかってるよ。
でも自分が言っても人に言っても差し支えないのってこの中で秀才だけじゃない?ディーさんずるくない???
言うまでもないことだけど、三流の天才よりも一流の凡人の方が遥かに才能として優れているのにねーみたいな話です。これも多分本書の中で触れられてたけど、あくまでこの3つはカテゴリーであって優劣はないんだよな。
それを踏まえて
僕はYさんとこの本について話をした時、僕は明らかに秀才カテゴリーに属する人間だという結論に到達した。 つまり、合理的ではあるが他者への共感性が乏しい。 (残念ながら)自分でもそのように思う。 ゆえに僕は共感性が必要になることは手を出さず、再現性を活かせることに注力しようと決めた。得意分野で戦う方がはるかに合理的だからだ。
RE:天才を殺す凡人 - 往復交換雑記
こうやって戦う武器を決めて選べて社会で結果を出している人を本当に尊敬するし、
そう、僕はしないことを選べた。 30年少し生きた末にようやく「しないこと」を選べた。 ある種の諦めと達観を得たことにより、僕は随分と生きやすくなった。 多分、これで良いのだ。
RE:天才を殺す凡人 - 往復交換雑記
こうなるまでにいろんな葛藤もあっただろうなと思う。それこそ人に揉まれてさ。選ぶっていうのは他の可能性を捨てることとセットになってることがほとんどだし。
そして自分がしないことを選ぶためには諦めと達観と同時に、他者を信頼することが必要に絶対なってくるんだと想像するの。チームで仕事しようとした場合はなおさらね。
そういうものに並々ならない憧れがある。私も得意分野で戦いたい。
3流4流の天才でも、やることをシンプルにしてったら2流くらいにはなれるかもしれないし、その方が合理的でしょ?
そのためにも多分
ゆえに僕たちが必要なのは「理解させたい相手の言葉で喋る」ことが重要になってくる。 つまるところそれは「相手の価値観を理解する」ことと同義になってくる。
RE:天才を殺す凡人 - 往復交換雑記
が大切なんだろうね。ものそい苦手だけど、これ。
なんていうかこれをしていくためには相手をある程度観察すると同時に、相手をラベリングというかカテゴライズしていかなきゃいけないじゃん。
マッマからの話で好きなのがあって 「コップを横から見るとアウトラインは長方形か台形。しかし上から見ると円形になる。いろんな方向から見てみて。」
にゅーとらる - 往復交換雑記
ヨメちゃんだけでなく私もこれは大切にしていて、故にいろんな方向から見てしまうとカテゴライズできなくなる。
カテゴライズしても、完全にはわかっていないぞっていう余白を持っていればいいんだけどね。その余白は相手に対する敬意でもあるし。
結果私は私の言葉でできる限り正確に、伝わることを願って置いてくるだけ、みたいになっちゃうんだ。でもそれはきっと伝わらなかったらただの我の強さで、思いやりではないよね。
結局は相手がどう受け取るかが全てだし。
幸いにしてそれを好きだよと言ってくれる人たちに支えられて生きているけど、前向きな諦めや達観がきっと必要なんだろうな。
ちょっと意見を交わしただけでここまでいろんなことが見える。
相手がいいからっていうのが大前提だとしても、私みたいな社会不適合者だってやっぱり人間は社会性の動物だわ。