ミドリムシになりたい
光合成小説、おもしろい〜
アイディアを投げた人も
それを膨らました人も偉大だ
交換日記って感じがする!!
食べることを放棄した人類と食事を続ける人類。
つまらない例えだけど、ビーガンとそうじゃない人たちとの対比が相同関係として浮かんでくる。
光合成にしろ、ビーガンにしろ
生命の維持に対するスタンスの違いって乗り越えられるもんなのだろうか
もしもビーガンに恋しちゃったら…?
結婚に際してswimmyちゃんに「この人のためなら変わろうと思えるから」などとカッコいいことを言ってしまったが、宗教や食物制限は飛び越えられたのだろうか…
…ん?飛び越える必要もないのか?
ビーガンのひとはビーガンのままでいいと思うし、信じる神様は人それぞれ違ってもいい。
スタンスが違う人が一緒にいちゃいけないわけじゃないもんね。
でも主人公の彼女のパパさんがそうだったように
理解できないモノの存在を認めることは難しいんだろうな…
光合成小説の主人公にはがんばっていただきたい。あのねあのね、駆け落ちが最終手段としてあるよ!!!!(私も結婚反対されてたので、やろうとしてた)
光合成小説を読んでいてミドリムシになりたかった時期を思い出した。
疲れ果て「なぜ疲れるのだろう」と考えた結果
脳みそが疲れたと感じるから疲れるのであって
脳みそがなければ考えることもなくなり疲れないのでは?
↓
脊椎動物だから脳みそがある
↓
脳みそがない動物になりたい
脊椎動物のジャンルを外れたい
↓
極限シンプルな単細胞生物がいい
葉緑素があればご飯もいらない
↓
ミドリムシがいい
動物というジャンルを外れないぎりぎりの選択です。
ミドリムシはその名の通り、緑色の光合成をするための器官「葉緑体」を持っていて、同時に動き回るための器官、「鞭毛」も持っており
よって、植物なのか動物なのか判定しづらい生物として有名。なんなら、雑に光合成のできる動物として捉えることもできる。おまけに光がないところでは捕食活動ができるらしい。
べんり〜
最強〜
わたしの
疲れたくない
でも生きたい
というスタンスにハマったというか。
そんなこと思っていた時期もありましたね。
じぶんのバンドの話で申し訳ないんだけど
昔じぶんが書いた「くらげと私」という曲の歌詞で
「脳がないから悩みはない 心がないから涙がない 透明なからだは水でできている」
っていうのがあるんだけど、くらげに憧れていた時期もあります…くらげも脳がなくて、成分がほぼ水ってのがいい。
昔から頭を使わずに眠るように暮らしたい願望があるんだな…
雨の日、お布団の中から失礼しました。